39「モロッコ、荒野の果て」

荒野のように心は乾いていた。
車窓から広がる、この世の果てのような土色の大地。
カサブランカ出身のモロッコ人のドライバーが運転する後部座席に揺られ、どこまでも続く乾いた風景を、ぼんやりと眺めていた。
あと数日で平成が終わる2019年の4月。日本を発ち26時間かけモロッコへ来て、3日が過ぎていた。思うように写真が撮れていない。
写真が撮れない理由は2つあった。
一つはイスラム教徒は、写真を嫌う。
特に女性は宗教上、写真を嫌う。
初日に着いた古都マラケシュでは、町行く人混みにカメラを向けると、
「ヘイ!ジャパニー!ノーフォト!」と、四方から罵声を浴びせられ、全身の体が緊張した。
この国では自分は異教徒であり、カメラを構えた異物。完全なアウェーの世界。泥臭い命が渦巻く、イスラムの洗礼を受け、脳みそまで強烈に疲労していた。
写真が撮れないもう一つの理由は、旅をするといつもそうなのだが、訪れた国の空気、湿度、音、匂いが自分の体に馴染まず、シャッターを押す感覚が掴めないのだ。
どこを歩いても絵になるのに、どこにカメラを向けても、思うような写真が撮れない。ピントの合わない壊れたカメラのように。
だから旅をして2日目から3日目が一番辛い。
「何を撮りにこの国へ来たのか?」
「このまま何も撮れずに、旅が終わってしまうのではないか?」
そんな不安に襲われる。
荒野を一台の車が走る。
土煙を巻いて車が走る。
どこまでも変わらない車窓の風景。
見渡す限り人はいない。
この世界には、ドライバーと僕の2人しか存在しないのでないだろうか、そんな気がしていた。やがて延々と進んだその先に、ぼんやりと丘のような連なりが眼球に飛び込んできた。その連なりは近づくほど、解像度を増して、ハッキリと形を成した。
サハラ砂漠だ。
ボンッと音がなるほど、心臓が高鳴った。
それは見たことのない風景だった。
オレンジ色に輝き、滑らかな曲線を描く砂の山脈。
心の一番深い部分が震えて、何かが弾けた。
心の温度が上昇する瞬間をハッキリと感じた。
写真を撮りたい。
この風景を大切にしたい。
この国へ来て初めて心からそう思った。
息を呑むような、サハラ砂漠の圧倒的な自然の美しさを目の前にして、僕はしばらく動けなかった。きっとこの場所に来るために、この国へ来たのだ。
一眼レフカメラを構える前に、僕は心のシャッターをそっと押した。
頬をなでる風が心地よかった。
旅の緊張が砂丘の夕空に溶けていく。
乾いた大地に癒され、僕の心は潤っていった。